男一人での東北旅行(岩手・宮城旅行)、今回は岩手県の「平泉」にある「毛越寺(もうつうじ)」、「達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)」観光についてです。
前回の旅行記 ⇒ 男一人で平泉「中尊寺」に行ってきた ‐ 岩手旅行 Part4
中尊寺を15時45分頃に出発して、自転車で飛ばして毛越寺に向かいました。
中尊寺から毛越寺までは、約1.5kmです。
Googleマップを見ると毛越寺の隣に「観自在王院跡」という広い場所があったため、寄ってみました。
観自在王院跡にある「舞鶴が池」です。
観自在王院跡は、世界遺産です。
無量光院跡と同様に、こちらもブログを書きながら調べている時に、世界遺産だと知りました。
世界遺産だとは知らずに、「広い土地だなぁ~」と思いながら、とりあえず写真撮影していました。
毛越寺には、15時55分頃に着きました。
拝観終了時間17時(時期によって変わります)まで1時間も余裕を持って到着し、一安心。
「毛越寺」の「本堂」です。
毛越寺も世界遺産となっています。
毛越寺の境内には、「大泉が池」という大きな池があります。
写真の中央に写っている長細い石は、「池中立石」です。
写真右の石群は、「出島石組」です。
大泉が池を一周してみました。
「築山」です。
「金堂円隆寺跡」です。
この写真の様に「〇〇跡」と名前が書かれた場所がいくつかあります。
写真をよく見るとわかりますが、至る所に小石が積まれていました。
「遣水」です。
「常行堂」です。
「地蔵菩薩」です。
このお地蔵さまについて、次のような説明が書かれていました。
お地蔵さまは餓鬼道の能化(仏菩薩)である。
地蔵十益、地蔵二十八益というご利益がある仏さまで、手に持つ宝珠は如意の玉ともいわれ、このお地蔵さまを信仰すれば、願い事が心のままになるという意味である。
願い事が心のまま…信仰すれば、ハーレム王になれるのか…
この後、宝物館を見て、時間は16時25分頃。
事前に平泉の観光スポットを調べていて、「達谷窟毘沙門堂」という所も気になっていました。
しかし、達谷窟毘沙門堂は平泉駅から少し外れた場所にあったため、行くことを諦めていました。
ただし、当初徒歩予定でしたが、予定を変更して自転車というアイテムを手に入れました。
そのため、「もしかして行ける?」と思い、急遽、「達谷窟毘沙門堂」の拝観時間と距離を調べました。
拝観時間は、17時まで(時期によって変わります)。
距離は、Googleマップで見ると、毛越寺から約5.3km、徒歩で1時間ちょっとの計算。
17時ちょうどに着いても中を見られないので、10分前の16時50分頃には着きたい。
25分でたどり着けるのか…
自転車で2.5kmを10分で行けるだろう…
問題は、残りの距離も疲れずに行けるのか…
また、上り坂ではないか…
いっそのことタクシーを利用しようか…
と非常に悩み、拝観時間までたどり着けなかったら、ブログネタにすれば良く、外から中をチラ見できるかわからないけど、もしもチラ見できれば、それだけでも十分だと思い、急遽、自転車で達谷窟毘沙門堂に向かいました。
達谷窟毘沙門堂へ向かう道です。
このような風景の道をひたすら真っすぐ進んで行きます。
夕方頃で天気も曇りで薄暗く、他に歩道を行き来する人がいなかったため(ロードバイクの1人に追い越されただけ)、ちょっと不安な気持ちになりました。
自転車で走り始めの方は、結構いけるんじゃない?と快適に飛ばしていましたが、徐々にペダルを漕ぐのが重くなっていき、歩いた方が疲れず、速度も大して変わらないんじゃないかと思う場面もありましたが、ふんばって自転車に乗り続けました。
途中、道の地面のど真ん中に大きなトンボがいて、気づかず自転車で踏みつぶしてしまいました。
虫を殺生してしまった。
寺院巡りしている中で虫を殺生してしまったことは、気分的に悪いと思いつつ、進んで行きました。
そして、「達谷窟毘沙門堂」に無事到着。
到着時間は、16時45分頃です。
拝観終了時間までに間に合いました。
毛越寺からは約20分で着くことができました。
よくがんばった!
ちなみに、帰る時に自転車で走っていてわかりましたが、毛越寺から達谷窟毘沙門堂への行きは、見た目ではあまりわかりませんでしたが、緩やかな上り坂になっている所が多かったです。
帰りは、自転車のペダルをあまり漕がなくてもスイスイ進んで行き、驚くほど楽でした。
行きが苦行仕様でした。
上記の写真に写っている一番手間の鳥居は、「壱之鳥居」です。
「自是殺生禁断地」とも書いています。
さっき虫を殺生してしまいましたが、この中ではないから良いでしょう。
そもそも意図しない殺生はカウントするのかどうか。
微生物や細菌レベルになってくると、知らずに殺生しまくっているよなぁ~
という言い訳を考えつつも、そう言えば「鳥居」があります。
寺だと思っていましたが、鳥居があるということは神社?
調べてみたら、「神仏習合」の社寺でした。
つまり、寺院でもあり、神社でもあります。
遅い時間帯というのもあったのか、拝観している客は数組だけでした。
「弐之鳥居」。
「参之鳥居」。
鳥居のデザインがよく見る鳥居と異なっていて、独特です。
「毘沙門堂」。
この姿が見たかったのです。
生で見られて大満足。
がんばったかいがありました。
毘沙門堂の上の山は、「眞鏡山」です。
毘沙門堂を様々な角度から撮影。
私が観光前に見ていた複数の観光記事サイトには、毘沙門堂の中の写真がなかったため、毘沙門堂の中には入れないかと思っていましたが、入ることができました。
ただし、写真撮影はNGです。
扉が閉まっていたため暗く、私以外の他に観光客がいない中、お経が唱えられていたので、異様な雰囲気がありました。
「岩面大佛」の下の部分です。
下調べが足りませんでした。
この写真に写っていない上の方を見上げると、大仏の顔が岩面に彫られています。
そうとは知らずに、岩面大佛という看板はあるが、岩に何もないじゃん、黒い染みのようなものがそれなのだろうか、それとも看板横の地面に立っている石のことを指しているのだろうかと思い、とりあえず岩面大佛と書かれた看板付近の写真撮影をしました。
受付でもらったパンフレットをしっかり見ていたら上に大仏の顔があると気づけたのですが、自転車の移動で疲れ果てていて、また、拝観終了時間まで残り時間が少なかったため、パンフレットをじっくり読んでいる余裕はありませんでした。
上記写真の岩面大佛と書かれた看板のデザインも改めて見ると、上矢印みたいになっています。
しかし、さすがにこれだけでは気づけなかった。
「〇〇メートル上の方を見上げてください」とまで書いてくれないと気づけないです。
せっかく達谷窟毘沙門堂に行けたのに、岩面大佛を生で見られなかったか~とちょっと悔しい思いになりました(行くまで存在を知りませんでしたが)。
「辯天堂」と「蝦蟆ケ池」です。
んっ?んんっ??
「岩面大佛」を発見!
なんと、辯天堂を撮影した写真に、岩面大佛が写り込んでいました!
最初は、ただの岩の模様だと思いましたが、鼻の出っ張り部分や鼻下の岩肌の色の違いなどを照合すると岩面大佛です。
一応、視界には入っていたということで、生で岩面大佛を見られたことにします!
やったー!
辯天堂がある島へ渡る橋の前には「仲良き男女は別々に御参り下さい」と書かれた看板があります。
弁才天女が嫉妬するからだそうです。
受付でもらったパンフレットには、「悋気な天女の前で縁結びを願うと逆に縁切りになる」と書かれていました。
私の場合は、あまりにも女っ気がなさ過ぎて、弁才天女も憐れんで、逆に縁結びをしてくれそうな気がします。
「鐘樓堂」です。
「姫待不動堂」です。
姫待不動堂の説明で以下のように書かれていました。
悪路王等は京から攫って来た姫君を窟上流の「籠姫」に閉ぢ込め、「櫻野」で暫々花見を楽しんだ。
逃げようとする姫君を待ち伏せした瀧を人々は「姫待瀧」と呼び、再び逃げ出せぬよう姫君の黒髪を見せしめに切り、その髪を掛けた石を「髢石」と云う。
達谷窟毘沙門堂に来る途中に、大きな文字で「髢石」や「姫待瀧」と書かれた看板があり、何だろうと思いつつスルーしていましたが、これと関係がありました。
この説明を拝観中に読まなければ、スルーしたままでしたが、偶然読んで知ったので、帰りに「髢石」と「姫待瀧」の写真を撮影することにしました。
それにしても、姫君をさらって「花見を楽しむ」というのが想像していたものより平和で笑いました。
でも、実際はおそらく、あんなことやこんなことをしていたのでしょう。
「花見」に隠語があるかなと思って調べてみましたら、「花見」の意味に「花札を用いてする賭博」というのがありました。
それはそれでちょっと…姫君をさらって一緒に賭博をしていたら笑います。
「金堂」です。
「白山池」です。
「大オッコウ」。
樹齢500年。
先ほどの「姫待不動堂」と「鐘樓堂」を後ろから撮影した写真です。
姫待不動堂の屋根が自然豊かです。
頭蓋骨が付いた杖を持った像です。
像の周りには、石が積まれています。
何の像なのかネットで検索しましたが、なかなか出でこず、唯一、個人ブログで、不動明王の眷属、三十六童子のひとり「仏守護童子」と書かれていましたが、それが本当かどうかわかりません。
Web上に様々な情報が載っている時代で、知名度がある観光スポットの情報でも、細かい情報は出てこなかったりするのですね。
拝観終了時間17時ほぼぴったりに、見終わりました。
私が出た直後に、男性2人組観光客が来て、営業時間終了で入れないじゃ~んとなっていました。
帰りの途中で写真撮影した「姫待瀧」です。
草がボーボーでしたが、写真の右の岩の所に下りられそうな道があったので、おそるおそる下りてみました。
岩の上から撮影した写真です。
「髢石」です。
草がボーボーでいったいどれが髢石がわからず、周囲をいくつか写真撮影しましたが、これが髢石です。
巨石の間に平べったい小さい石がたくさん積まれています。
ネットで画像検索してみるとわかりますが、石というか大きな岩・巨石です。
もっと遠くの方から写真撮影しないと全貌がわかりません。
帰りは、緩やかな下り坂になっていたため、楽々に平泉駅へ戻れました。
「平泉観光協会」のWebサイトに「ひらいずみツーリング」というコーナーがあり、女性2人組がレンタサイクルで借りた自転車(電動ではなく普通の自転車)で、平泉観光をするルートの紹介がされています。
そのコーナーでは、毛越寺から達谷窟毘沙門堂まで自転車で約30分とされています。
私が20分で行ったので、妥当かもしれませんが、体力がある人でないとかなりキツイと思います。
少なくとも女子2人組がキャッキャしながら行ける所ではなく、
女子A「これキツくね?」
女子B「ヤベーっしょ、これ。」
女子A・B「ゼーハー、ゼーハー」
という感じになると思います。
ただ、田舎の学校の場合、自転車で学校まで30分かけて通学するということもあるので、それに慣れている人は普通かもしれません。
よくよく考えたら、私も学生の頃は自転車で遠くまで行っていました。
今回は、私が体力が落ちたおっさんになってしまっており、しかも、暑い中、急いで行ったので、ここまで疲れた気もします。
それにしても、徒歩の予定を変更して自転車を借りたことで、昼過ぎからでも「中尊寺」、「毛越寺」、「達谷窟毘沙門堂」を観光できたので、やはり国宝「自転車」です。
平泉駅に到着。
自転車を返却しようとしたら、自転車の鍵を入れるケースが残り1つしかなかったので、返却最後の人は私か~と思って、鍵をケースに入れて返却口に入れたら、自転車に乗った男性が1人来ました。
その男性も返却の人でしたが、ケースが足りず、セルフで店員もいないため、その男性はお店に書かれていた電話番号に電話していました。
数分の差で、電話代がかからずに済んで良かった。
この後は、電車に乗って仙台に行くのですが、電車が来るまでしばらく時間があり、駅内はクーラーがかかっておらず、熱がこもっており、駅隣接のコンビニはクーラーがかかっていましたが、小さいコンビニなので、何もせずにずっといるのもいずらいので、駅内よりは涼しい駅前のベンチに電車が来るまで座っていました。
すると、私が座っていた前のベンチに女性2人組が来ました。
その女性2人組の会話が聞こえてきて、「明日、小岩井農場に行こう」と話していました。
さらに、「盛岡駅でヒッチハイクしたい」という声も聞こえてきました。
小岩井農場は私が今朝行ってきたばかりで、また、龍泉洞に行くには、適当に他の観光客を捕まえて、一緒にレンタカーで行った方がお金や時間的に効率が良くないか?と考えていたので、まさにその女性らの会話と私の考えがドンピシャでした。
他にも同じようなことを考えている人がいたとは…(というか、普通に考えたらそう思います)
しかし、私は岩手観光を終えた後です。
岩手観光と宮城観光の順番を逆にしておけば良かったと悔みました。
もし逆にしていたら、ここで目の前の女性2人組を
「小岩井農場近くのラブホテルで、私と一緒にモーモーしない?」
と誘って、一緒にレンタカーでキャッキャウフフしながら岩手観光をし、小岩井農場で、牝牛のパンパンの乳房を見て発情し、低温殺菌牛乳を飲みながら生乳会話をしてからの、小岩井農場近くのラブホテルで乳搾り乗馬体験できたのに…(このネタは、小岩井農場の観光記事を参照)
惜しかった…とても惜しかった…
と思いながら、電車の鈍行で仙台に向かいました。
仙台に向かっている途中の電車では、私の目の前の席に座っていた身なりが汚いおっさんが裸足の足を座席の上に乗せ、足の皮か何かをむきながら、鼻をズーズーして、咳をゴホゴホしていました。
さすがに耐えられず、別の席に移動したら、また左前にいた別の身なりが汚いおっさんが足を靴から出していました。
そしたら、さらに別のおっさんも靴を脱いで座席の上に足を乗せていました。
東北は、電車の座席に足を乗せるのが習慣なのか?
東北に来て一番の衝撃でした。
カルチャーショックです。
そういえば、盛岡駅から平泉駅に向かう途中の乗客も変わった人らがいました。
東北の電車はカオスということを学びました。
「行くぜ、東北。」の電車は、驚きでいっぱいです。
旅行記の続き ⇒ 男一人で遊覧船に乗って「ああ松島や」してきた ‐ 宮城旅行 Part1
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