アジャイルを逃げ道にするマネージャー

日本でも“アジャイル開発”を導入する企業、職場が増えてきています。

しかし、日本では、アジャイル開発が上手く適応できないという話もよく聞きます。

上手くいかない理由としては、昔からある日本企業は、変革を恐れるので、ウォーターフォール型の開発を変えたくない人が多い、ITゼネコンの多重下請け構造なので、委託関係が増えれば増えるほど意思疎通がしにくい、上司部下の上下関係が厳しく、開発に問題があっても下からの意見を上司が聞かず、改善ができない等、色々な理由が述べられています。

アジャイル開発が上手くいかず、困っている人らがいる一方、それ以前に、アジャイル開発という言葉が都合良く使われ、それによって、困っているエンジニアらもいます。

 

“アジャイル開発”という言葉が、マネージャーによるマネジメントの仕事放棄逃げ道として扱われるている現状があります。

ここで述べるマネージャーは、幹部社員、上司、取引先などにも置き換えることができます。つまり、立場がエンジニアらより高い人で、上から一方的に指示をしてくる人のことです。

 

どのような状況か具体的な例を述べます。

マネージャー「アジャイルで上手く効率良くやって。」

マネージャー「アジャイルでパパッと作って。」

マネージャー「アジャイルだから引き継ぎ時のドキュメントなんてないよ。そもそもドキュメントがない案件なんてたくさんあるんだから、コードから解読するのが当たり前。」

マネージャー「アジャイルで、バグなどの問題が出てもテキパキ対応して。これ、アジャイル開発だから。」

 

“アジャイル”という言葉を使いつつ、上記のようなことをマネージャーが平気で言ってきます。

これらの発言を見ると、”アジャイル”は、まさに魔法の言葉です。アジャイルと言えば、どんな課題も解決できてしまうのです(実際には、解決できていませんが)。

ここまで来るとわかりますが、アジャイルという言葉は、無能なマネージャーにとって都合が良い言葉になってしまっているのです。

このようなマネージャーの下、理不尽な状況にあっているエンジニアを実際に見かけることがありますし、Web上のブログでも、この状況を愚痴っているエンジニアがいました。

 

アジャイル開発を考えることからの逃げ道に使うマネージャーは、自分自身では、マネジメントのプロ(または、スクラムマスター)と言ったり、設計ができると言ったりしますが、実際には、全くできていないことがあります。

昔からある日本特有のSI業界の状況を見ますと、マネージャーは、下の者に全て開発の計画をさせ、下の者が出してきた計画に対して、感情論でなんとなく、または、勝手に決められた既定事項の納期だけを考慮して、計画に批判、ダメ出しをすることが多いです。

設計についても、例えば「車を自動で運転できるシステム」と言うだけで、技術やデザインに落とし込む所は全く言わずに、ただやりたいことの妄想を言うだけで、設計と言います。

ドラえもんの道具の何かしら、例えば「”どこでもドア”を作る」というのが、ダメなマネージャーは、設計といい、「おれは設計ができる」と発言するのです。そして、そこから実際に、”どこでもドア”を作るまでは、アジャイルでちゃちゃっとできてしまうと。

 

このようなマネージャーは、日経新聞に載っているような流行り言葉が好きなだけで、アジャイルとは発言するもののアジャイル開発の知識は全然なかったり、プログラミングの知識もほとんどなかったりする(または、時代遅れ)ことが多いです。

マネジメント(調整)しているとは全く言えず、マネージャー失格であり、その役割から降りるべきなのですが、古くかある儒教精神の日本の縦社会では、そのような柔軟な人事制度になっていないことが多く、無能なマネージャーをマネージャーという役割から降格させることが困難です(多くの企業が実質不可能)。

また、ベンチャー企業の場合ですと、開発の知識は少ないが、なんかそれっぽい華々しい経歴の人が上の位置につき、開発現場を混乱させる発言をし、その影響で、プロジェクト炎上、さらには、世に出たサービスが社会的に炎上するということもあります。

 

以前、様々な企業の人が集まるあるワークショップにて、グループワークをやりました。

私と同じグループには、普段の仕事で、アジャイル開発のリーダー(マネジメント側)的な役割を担っている人が2人いました。

しかし、グループワークにて、その2人のアジャイル開発リーダーがお互いに意見を融通し合わず、論理的に筋道を立てず、揉めて、それで時間が過ぎていき、まともな成果物が出ませんでした。

その2人は、自己紹介時のとき、「普段仕事でアジャイルを取り入れているけど、上手くプロジェクトが回っていない」と言っていましたが、このグループワークの様子を見て、「そりゃ、アジャイル開発を仕切る立場の人がこんなことをやっていたら、上手く回らないだろう」と思ってしまいました。

 

アジャイルという言葉を使うだけ、上部のプラクティスだけを取り入れるだけでは、アジャイル開発は、上手くいきません。中身が大事なのですが、なぜか日本人は、そこをスルーする体質の人が多いような気がします。

日本人の性格の話になるとまた話が長くなるので、ここでは述べませんが、このような残念な状況によって混乱している現場をどうにか救えないかと思います。

 

最近、AI、ディープラーニングが流行っていますが、企画書などで「世の中には、〜〜のような課題があり、これを解決する必要がある。それを”AI”で解決する(ドン!)」というようなものをよく見かけます。

「上の人らは、”AI”でやれと発言するが、簡単にAIで何でもかんでもできるわけではない。AIという言葉が好きな高尚な趣味は、同じ趣味の上の人らの間だけで好きなだけ議論しておいてください。」

といったような皮肉なオチのニュースサイトのコラムを以前読んで、笑いましたが、この”AI”が魔法のように扱われている状況と“アジャイル開発”が魔法のように扱われている状況は、同じと考えます。

 

AI、アジャイル開発と述べ、一番重要な部分は考えない(考えない人に限って、自分は考えていて素晴らしいと言い、(本当はすごく考えている)他人を考えていないと批判しますが)、そんな人が減り、ある用語が逃げ道として扱われる状態になってしまわない世の中になることを期待します。

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