PoCの手段の目的化によりPoCが弊害扱いされている現状

ここ数年、「PoC」という言葉をよく耳にします。

POC(Proof of Concept、概念実証)とは、新しい概念や理論、原理などが実現可能であることを示すための簡易な試行。一般的には、一通り全体を作り上げる試作(プロトタイプ)の前段階で、要となる新しいアイデアなどの実現可能性のみを示すために行われる、不完全あるいは部分的なデモンストレーションなどを意味する。

出典:「IT用語辞典」

一言でいえば、「軽い試作品を作って価値があるか試してみる」といったものです。

似たような言葉に、「PoB(Proof of Business)」という言葉がありますが、使い分けできている人は少ないので、ほぼ一緒のもの扱いで良いでしょう。

大学時に、認知科学系の研究をしていたこともあった私は、仮説検証の実験をよく行っていたため、このPoCのような行為は、順当なものだと考えます。

しかし、最近、PoCという言葉を耳にするとき、おかしくね?と思うことがあります。

 

それは、

「PoCが重要だ!PoCをしまくれば、良いものが1つか2つ出てくる!素早く開発して、素早くデモだ!とりあえずやることが重要だ!」と言うPoC推進者

それに対して、結局、PoCをやっても何もビジネスに結びつかなかったときに「PoCをやっても意味ないじゃないか!PoCには、価値がない!今まで通りやれ!」と言うPoC否定論者

が多くいることです。

すなわち、「PoCという手段が目的化」しており、浅はかな考えでなんでもかんでもやり、その結果を見て、PoCが悪いわけではないのに、「PoCは悪」とレッテルを貼る人が出てきているのです。

非常に残念なことになっています。

 

認知科学の分野などで仮説検証の実験をするときは、仮説を道筋立てて熟考して立て、その仮説を検証するのにふさわしい実験方法を熟考して設定します。

実験方法や実験環境が少し変化するだけで、実験結果が大きく変わってくるため、色々な要因を考えます。

実験後は、分析をして、もし立てた仮説が棄却されるような結果だった場合は、どのような要因が、そのような結果をもたらしたのかを分析します。

そうしないと、いったい何が原因でどのような結果になったのか体系化して説明できません。説明できないと論文も書けません。

つまり、思い付きでちゃちゃっとやることはあまりしないです(ちゃちゃっとやった方が良い内容のときは、ちゃちゃっとやります)。

 

しかし、最近、私がよく耳にするPoC推進者のやり方は、思い付きレベルで出てきたアイデアをとりあえずなんとなく動くレベルまで作って、実験の設定などもそんな考えずに、ユーザにやらせて、感想をパパッと聞いて、PoC終了というような感じです。

先ほど述べた、認知科学の分野の実験設定、実験方法とは、真逆です。

「とりあえずやろう」です。

「PoC」というかっこいいそれらしい名前にするのではなく、「とりあえずやろう」という名前にした方が良いと思いますし、そっちの方が、やっている内容を表現できていると思います。

そりゃぁ、ビジネスモデルをあまり考えずにやって、面白さだけでユーザに受けたとしてもビジネスまで持っていける確率は低いです。「もぐら叩きゲーム」でも、その試作品に入れておくだけで、ユーザは「面白い!」と言ってくれるでしょう。

 

私がプライベートの趣味でアプリを作るとき、「一発ネタとして面白いアプリ」「大きな収益を生むプラットフォームになり得るアプリ」と分けて考えてアイデアを練ります。

例えば、前者のアプリの場合は、とりあえず作って評価をすることが適しています。

私が以前作った「Lonelycolor」というアプリは、まさにちゃちゃっと作って試すことによって、面白さの価値をすぐ検証することができました。しかし、これが大きなビジネスに結びつくかと言われるとそうは思いません(運良く結びつく可能性もありますが)。

これは暇潰しゲームとして遊ぶ程度のものだと思い、その暇潰し程度の面白さがあるかを検証したかったために、「とりあえずやってみる」型のPoCが有効でした。

あくまで、LonelycolorアプリのPoCはそこまでの検証であって、だからそれがビジネスに結びつくかどうかは、また別の話です。

しかし、それをビジネスもごっちゃにして考える人がいるため、「PoCは素晴らしい!」、「PoCは悪い!」という謎の論争になるのです。

もし、ビジネスまで持って行きたいのあれば、ビジネスになる道筋も考えた上で、試作品を作り、そのビジネスに持って行くまでに、何の検証がどれだけ必要なのかを考え、デモの設定をするのが良いでしょう。

まずは、ゲーム性の面白さを知りたいのであれば、その検証をし、次に、~が知りたいので、次は、その検証をして、とPoCを繰り返す必要も場合によってはあります。

「何の検証をしたいのか」「検証のためには何が必要か」を考える必要があります。

PoCは、設定したコンセプトの検証であって、「PoC成功 = ビジネスになる」では、ないです。

「PoCをたくさんする = ビッグビジネスが生まれやすい」わけでもありません。

1ヵ月の間に、「しょうもないアイデア10個」のPoCをする場合と「しっかりビジネスまで道筋通したアイデア3個」のPoCをする場合とでは、ビジネスに結びつきやすさでは、後者の方が確率が高いでしょう(まぁ結果論なので、なんとも言えないですが。なんとも言えないものなのに、「とりあえずやった方が良い」と決めつけるのがおかしいのです。)。

 

あくまで私の考えですが、「PoCが重要だ!」と言われ始めたのは、

・「本当に価値があるアイデア」と思ったものが、アイデアを取捨選別する決定権がある上の人の気分一つでお蔵入りになって、ビッグビジネスのチャンスを逃してしまう

・「本当に価値があるアイデア」と思って莫大のお金をかけて作ってはみたものの、実はそれは思い込みで、ユーザにとって価値がないものであり、開発費を全て無駄にする

といった残念な結果を避けるためだと思います。

なのに、手段が目的化して、何のためのPoCかよくわからなくなっているのです。

 

また、PoCをやった後は、成功した場合も失敗した場合も、なぜそのような結果になったのか分析が必要です。

失敗した理由を分析することで、改善点が見つかり、その改善点を少し修正するだけで、成功する場合もあります。

サービスにおいて、価値があるものだけど、マーケティングが下手なだけで流行らなかったということがよくあります。

しかし、PoCの結果を評価する人の中には、「成功したか・失敗したか」しか見ていなく、原因を探って、改善しようとせず、そこでそのPoCの事業を打ち切りにしてしまうことがあったり、自分の人事評価などを気にする人は、PoCをしてみて失敗しても、原因を探らず、「今回は、たまたまユーザが合っていなかっただけ」などと言って、失敗をなかったことにして、そのままその事業を進める人もいます。

 

社会に出て驚いたのは、PoCをしたり、実証実験する人らで、統計学の知識がある人が全然いないことです。

最近の若い世代の理系出身者は、大学院まで行って、論文も書く人が多いのか、統計学を少しはかじっている人を見かけますが、上の世代になるにつれて、統計学の知識がありません(私の周囲の環境がそうだけなのかもしれませんが)。

何も実験の知識がないのに、自分の想いだけで、いい加減に進めて、さらには、知識がある下の立場の人の意見を聞こうとせず(自分が絶対だと思っているので)、下にいい加減な指示をするパターンをよく見かけます。非常に、恐ろしい世界です。

 

最近は、PoCに限らず、「デザイン思考」「リーンスタートアップ」「アジャイル開発」などそれっぽい、現代風なかっこいい感じの言葉が出てきています。

これらの言葉も今回述べたように、「手段の目的化」になっていることが多く、本末転倒というか、結局、何をしたいのかわからなかったり、ただの言い訳の道具に使われてしまったりしていて残念なことになっています。

この現状をどうにか改善したいです。

「言葉に踊らされずに、また、自分の主観的な感情だけで物事を見るのではなく、本来の目的に合ったことをやりましょう」、そして、「PoCが悪いわけではありません、PoCという言葉を扱う側の人の問題です」ということを本ブログ記事で、お伝えしたかったです。

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